親切は自己中心にすべき

正しい親切ってなんだと思います?

 

難しい話ではありますが、結構重要な話だと思うんですよね。

 

みなさんは親切な人って聞いてどんな人を思い浮かべるでしょう?

 

自己犠牲をしてでも他人を助けようとする人、目についた人を片っ端から助ける人、いろんな人がいると思います。

 

でも、これらの要素って、実は親切の本質とはちょっとかけ離れてるのかなって思ってます。

 

僕は、親切って自分の心の水がいっぱいある時に、他の人のコップに水を注いであげる行為だと思うんです。

 

この水って少し特殊で、1注いだ水が、3になったり10になったりするんですよ。

 

少しだけ水を注いだつもりでも、相手のコップの中でそれが膨らんで、半分くらいは相手のコップを満たせたり、場合によっては完全に満たされちゃったりするんです。

 

自分のコップの中の水はちょっとしか減ってないのに、不思議ですよね。

 

まあ、ここまでわかりやすく水で例えたんですが、この話に出てきた水の名前、それは『幸せ』って言うんだと思います。

 

で、ここからが本題。

 

基本、ちょっとの幸せを使って誰かをたくさん幸せにできるなら、それって凄くいいことだと思うんです。

 

それをみんながやっていけば、世界は間違いなく良くなるはずだから。

 

でも、自分のコップの水を8割とか9割とか誰かに注いで、自分が苦しい思いをするのって、僕は親切って言わないと思うんです。そんなことをしたら、自分の心が乾いてひび割れちゃう。

 

自分が明確に損をする時は、特にこうなりやすいと思います。でもまあ、これってやっちゃう人はやっちゃうんですよね。それこそ、息をするように。

 

親切っていうのは、ほっといても蒸発しちゃうような余った水を誰かに注いであげる行為、例え、8注いだ水が注がれた先で20になっても、それは親切って言わないんじゃないかなって思います。

 

なぜなら、その行為は、他人には優しいけど、自分には優しくないから。自分の幸せを、どこまでも度外視しているから。

 

それでその人の心が乾いてひび割れたとしたら、その人が今後誰かに親切にすることは、なくなってしまうかもしれない。それは、その人にとっても、これからその人が救うはずだった人たちにとっても、良くないことだと思うんです。

 

だから、親切っていうのは、自分が傷ついたり、明確に損してしまうシーンでは、してはいけないんです。まあ、リソース的に損する場合でも、それを本気で損と感じない人もいるので、基準は人それぞれではあると思うんですが。

 

まあ、要するに、親切をして得られる幸せと、自分が失う幸せのバランスを考えろってことです。大前提、ほとんどの親切な行為は失うものより得るものの方が多いので、全くなんの問題もありません。

 

僕が言いたいのは、そもそもコップの中の水が足りてない人や、親切をすることで自分のコップの中が空っぽになりかねない時は、親切なんてするなってことです。

 

多分僕なら『ちゃんと自分の幸せを考えろ』って説教してると思います。

 

で、なんでこんなことを書こうと思ったかというと、僕自身がこれをやらかしたからです。

 

自分のコップはほぼ満水だったんですが、それを周りに一気に注いだどころか、自分の心臓を抉り出すような行為をしたせいで、一気にコップの水が空になりかけました。

 

自分は比較的周りの人を幸せにしてきた人間だと思ってたんですけど、そんな自分のことは誰が幸せにしてくれるんだろうとか考えたりもしました。

 

要は、情けない話ですが、ちょっと心が折れそうになったんです。今語ってきたことって頭ではわかってたし、同じようなことしてる人がいたら説教してきた位にはちゃんと理解してると思ってたんですけど、まさか自分が無意識でやっちゃうとは思いませんでしたね。

 

まあ、幸いなことに優しい人が話を聞いてくれたおかげで、もうちょっと頑張ろうと思えたわけなんですが、こんなことは絶対しない方がいいなってのが正直なところです。

 

だからこれを読んでいるあなたは、誰かに親切をする時は、まずは自分を中心に状況を考えてみてくださいね。

 

圧倒的な自己犠牲の上に成り立つ親切なんて、親切でもなんでもありませんから。

 

まずは自分を幸せにしてくださいね。

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